
東野圭吾の『さまよう刃』、改めて読みました。
1年くらい前に読んだ本。同じ本は2回読まないようにしているのですが、映画化されるということもあり、復習を兼ねて。個人的な好みでいえば『白夜行』『幻夜』がダントツに良く、同じノアール系といっても『さまよう刃』はちょっと物足りなさを感じてました。ガリレオシリーズは、東野圭吾の違う側面という意味では好き。
改めて読んでみて評価が変わったかというと、そうでもないのですが、タイトル『さまよう刃』は深いなーということに気が付きました。最初に読んだときの理解は、「刃」とは凶刃であり、少女殺害犯である2人の少年を指しているのだという程度。
でも、よくよく読んでみると「刃」とは、復讐に駆られる被害者の父 長峰重樹の決意であり、そして法とルールを遵守することを求められる刑事 織部・真野・久塚らが正義と呼ぶものでもある。そして、それぞれの「刃」、長峰重樹の「刃」は逃亡中にであった女性によって、また、長峰重樹自身の両親の呵責によってさまよい、織部・真野・久塚らの「刃」も個人的、道徳的な感情によってさまよいます。
唯一「刃」という言葉が文書中にでてくるのは
・・・自分たちが正義の刃と信じているものは、本当に正しい方向を向いているのだろうかと織部は疑問を持った。向いていたとしても、その刃は本物だろうか。・・・
あきらかに織部の「刃」はさまよっています。
2人の少年の凶刃は別として、長峰重樹の「刃」はどこを向くのが正しいのか、織部・真野・久塚らの「刃」は? エスカレートする若年犯罪と、少年少女の更生の問題、これはリアルに起きていることであり、小説、映画の中のことと傍観するべきではないのだろうなーと考えさせられます。
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「さまよう刃」を、映画、エンタメという点で見ると長峰重樹を演じる寺尾聰に期待。「半落ち」の時のような切迫感と切なさをきっとうまく表現してくれそう。あと、伊東四郎がポイントなんじゃないかなー、と思ったり(^^)
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