パンドラの匣
終戦の年に発表された『パンドラの匣』読みました。

太宰のキリキリと迫ってくる晩年の作品とは違って、なんだかのほほーんとした作品。進んでいるんだか、進んでいないだか、落ちがあるのか、それともないのか分からないような不思議な作品。竹さんが美人だとか、マア坊がかわいいとか、隣の越後獅子は有名な詩人だとか、新しい男になって船出するだの、どうでもいいよ!とツッコミをいれたい感じ。

太宰の作品でなければ素直に読めるのだけど、、、と思ったのですが、部分部分で死を意識させるシーンもあります。結核病棟での話というのが、そもそも死を暗示するし、病棟の入院患者の鳴沢イト子の木棺を見送るシーンの

よいものだと思った。人間は死によって完成せられる。
(中略)
人間は、死んでから一番人間らしくなる、というパラドックスも成立するようだ

が印象的で、太宰の死生観と死への希求が垣間みられます。

映画『パンドラの匣』では、太宰の一番ポップな作品とか太宰のサニーサイドとかというような言い方がされていますが、ちょっとイヤだなーというのが正直なところ。太宰にはサニーサイドなどなく、常に死と生の狭間でしか生きられなかったと思うし、『パンドラの匣』に明るさがあるとしら、それは敗戦を経験したことによる虚無感もしくは諦観によるものだと思うのです。

これは、もしかしたら、そうであってほしいという太宰に対する自分の願望なのかもしれませんが。

太宰をいじって欲しくない!という勝手な願望もありつつ、映画というエンターテイメントとしてみた場合は、川上未映子(「乳と卵」で芥川龍之介賞を受賞した人なんですね)がどんな竹さんを演じてくれるのかが楽しみ。不思議な魅力のある人です。また、ちょっとだけふかわりょうにも期待。それと音楽が菊池成孔、これははげしく期待です。

あ、それから敗戦後の虚無感という意味では、晩年前年に書かれた『トカトントン』がとても気に入っている作品です。確かに、あのふっとした時に訪れる虚無感、脱力感には強く共感するものがあります。太宰と自分とでは背負っている悩みの深さが全く違うのですが、少しでも共感できてしまう自分に、ちょっと太宰ナルシズムを感じたりしてます(^^;

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